秋川高校1期会

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訃報 岩崎清人 2019.1.22.

昨年3月に2回目の脳梗塞の発作で伏せっていた、岩崎 清人君が1月22日永眠されました。本日、奥さんから連絡が入りましたので、お知らせします。
同期の訃報に言葉もありません。彼はクリスチャンなので神のもとに召されのですが、悲しい限り。合掌! 情報提供者 三枝。

岩崎清人は1年C組 14室 同室でした。
既に田中室長、山田秀樹、大友啓治そしてこの度の岩崎清人と半数の4人が鬼籍に入られました。
さびしい限りです。
最近の思い出としては、ご夫婦と名古屋で飲んだり、秋川50周年の時に無理して出てきていただいたりしました。
昨年電話をした時に
昨年の3月に脳梗塞が再発して入院、意識不明の状態と聞き奥様には慰める言葉もありませんでした。
10ヶ月もの間さぞ大変な想いだったろうとお察しします。
心よりご冥福をお祈りいたします。 合掌。   小林。

奥様とのお電話
脳梗塞と多臓器不全で逝去されました。

「元気な頃 俺は天国には行けないよ」
9年前に脳梗塞で倒れて、言葉が少し不自由であった。
昨年の3月に再発し、意識障害を起こしてほとんど会話も出来なくなった。

入院中に病室に牧師さんに祈りに来て頂いた。
彼は嗚咽し泣いていた。私は天国を確信しました。
2018年の暮れ頃に私は年を越せないだろうと観念していた。

彼はクリスチャンであったが、病気する前は不真面目な信者でした。
病気を境に頭を垂れ、真面目に教会に行くようになり、教えに深く帰依していた。

以前新しい教会を建てるという話があり、それならここが良いと彼が勧める土地に新築されることになった。
念願はかなった。
落成は1月25日の予定であった。

彼は新しい建物を見ることはなかったが、そこまで彼は頑張った。
彼の葬儀がその建物のイベントの第一号となった。

私はこの10ヶ月間、毎日午後に病室に見舞いに行っていた。
1月22日もいつもどおりに病室に行った。
彼の顔色は血色は無く、目も口も開いていた。
私が声を掛けたら
大きな息を一息したのが最後になった。
もしこのときに立ち会えなくて、看護師さんからの連絡であったら私は看護師を恨んだかもしれない。
彼は私が来るのを待っていたかのようだった。

彼はクリスチャンとして教えの通りに生きてきた。
9年前に最初に倒れた時から真面目に毎週教会に通ったばかりでなく、毎週一日は家庭訪問布教に歩いたりしていた。

私にとってのこの10ヶ月間はとても意味のある歳月であった。
彼を通して素晴らしい教えに出会え、彼がその教えに導いてくれた。
愛を教えてくれた。

秋川高校1期生の皆様のご厚情に心より深く感謝申し上げます。

岩崎清人 妻。

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